お花畑作家は政治を語るな

村上春樹が東電と「効率社会」批判 スペインでのスピーチ内容に賛否両論
J- CASTニュース 6月11日(土)17時33分配信

 世界的作家の村上春樹さんが2011年6月9日(現地時間)、スペインのカタルーニャ国際賞授賞式でスピーチした。大震災で原発事故を起した東電を批判し、効率を求めてきた社会に疑問を投げかけた。ネット上では、賛否両方の意見が寄せられている。

グレーのジャケットをまとった村上さんは約22分間、よく通る低い声で身振り手振りをまじえながら日本語で話した。

■「核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」

スピーチの話題は必然的に、3月11日に東日本を襲った大地震のことに及んだ。村上さんは「大地震で日本人は激しいショックを受けたが、結局は復興に向けて立ち上がっていくだろう。壊れた家屋は建て直せるが、倫理や規範は簡単に元通りにはできません」などと指摘した。

その矛先は、原発事故を起した東京電力に向かう。原発事故による悲惨な結果を招いたのは、建設した者が津波を予想していなかったことなどを挙げたうえで、「何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったから」「政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます」などと批判した。

ただし、こうした「歪んだ構造」を「許してきた」、「黙認してきた」国民にも責任があり、加害者であると表現した。広島に落とされた原子爆弾を引き合いに、「核」への拒否感が揺らいだのは「効率」ではないかと持論を展開。「我々日本人は核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です」「『効率』や『便宜』という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく『非現実的な夢想家』でなくてはならない」などと述べた。



村上春樹氏は、所謂作家である。物語を作るのが仕事である。
物語とはいわば虚構である、虚構とは一般的に言えば嘘ということになる。その嘘の話を作ることを生業にしている人が、作家と呼ばれる人だ。
その村上春樹なる作家が、スペインで講演した。氏の言っている内容は、「政治」問題で、エネルギー施策について批判をしている。

物語と政治とは根本的に違う。
政治とは現実問題である。明日のこと、一年後のこと、十年後のこと、あるいは百年後のことを踏まえて議論し結論を出し、施策を決めていくのが仕事である。
この議論→結論を出す、というのが政治の根本である。必ず結論を出さなければならない。
今の総理やハトヤマ元総理を除いて、政治家は常に現実を直視し、解決方法を議論して結論を出して来た、それが政治家の常道である。
ただし、今の総理やハトヤマ元総理は「現実をキチンと見てない総理」であり、であった。だから彼らの評判が、すこぶる悪いのは当然なのだ。

この評判の悪い今総理と元総理と本日の村上春樹氏は考え方が同じなのだと、感じている。
所謂、現実をキチンと見ない「逃避傾向」が見えるのである。
村上氏は「核」に対して「反対をし続けていればよかった」と述べている。
何時までも「広島・長崎」原爆を引き摺る悪しき例である。
核兵器と「原発」は自ずと次元が違う、片や兵器であり片や「企業」である。決して「核」と「原発」を同じ土俵で論ずることは出来ない。企業は平和利用として「核」を「原発」で使っている。この平和利用こそが、「広島・長崎被爆」を乗り越える唯一の方法だろうと思います。何時までも「核」を恨んでいても何も前に進みません。

そもそも、福島原発の事故の本質は「原子力発電」にあるのではない。「原子力発電」にあるリスクを軽く見すぎてきたことに、事故の原因があり本質があります。決して、「原子力発電」そのものが悪いのではない。
東京電力が「原発」にあるリスクを軽く見すぎてきたのが主犯で、それを見過ごしてきた「原子力委員会」や「原子力保安院」が共同正犯と呼ばれるべきなのである。

それをあたかも「原子力発電」そのものに原因があるが如き発言をする「村上春樹」の頭脳には、今総理とハトヤマ元総理と同じ「お花畑」が広がっているのではないかと、思えるのです。

村上春樹氏よ、原発を批判しても何も始まらない。原発こそが「資源のない日本」にとって唯一外国資源に頼らない「発電」なのである。それがいやならば、外国の資源に頼った「火力発電」に戻るしかないのだ。
火力に戻れば、電気料金は上がり、製造業も疲弊することは目に見えている。結果として日本の沈滞に繋がるのだ。
村上春樹氏よ、貴君は「作家」だ、夢物語の虚構を書いて世に発表している作家だ。しかし、政治は現実だ。目の前にあることを解決しなければならないのだ。日本の産業をこれから復興させる為には「電力」は不可欠だ、それをたいして「原子力発電」は「危険だから止めろ」というのは、所詮「お花畑作家」の発想だ。全く現実を見ていない。


お花畑作家は政治に口を出すな
お花畑作家は虚構の中に居ろ