小人革面ス


イラ菅」封印 透けて見える本音

2011.2.2 20:18(1/2ページ)

 菅直人首相は1日に引き続き2日の衆院予算委員会でも「イラ菅」を封印し、何とか野党を「熟議の国会」の土俵に誘い込もうとして、厳しい質問にも低姿勢を心がけた。だが、これは表向きのポーズであり、本音と建前を使い分けていることが透けて見えるため、望む効果は得られそうにない。
 「若干の言い過ぎがあったとすれば謝りたい」

 首相は2日、社会保障と税の一体改革をめぐる協議に野党が応じなければ「歴史に対する反逆行為だ」と断じた1月の自身の発言について陳謝した。

 民主党が平成19年、当時の福田康夫首相が呼び掛けた社会保障国民会議への参加をにべもなく拒否したことに対しても低姿勢に徹し、こう述べた。

 「野党時代の対応を思い起こすと、いろいろな場面で反省が必要なところがあった。政局的に物事を考えがちだった」

だが、首相の対応が高飛車だったのは野党時代だけの話ではない。副総理・財務相だった22年3月16日の参院内閣委では、「熟議の国会」を求めた自民党古川俊治氏との間でこんなやりとりがあった。

 古川氏「多くの議員の意見を取り入れる。これが国会審議を活性化する本来の民主主義のあり方ではないかと思うが、いかがか」
 菅副総理「私は、議会制民主主義とは期限を切ったあるレベルの独裁を認めることだ、と思っている」

 これが首相の持論であり本音なのだ。事実、この年6月に首相に就任し、菅内閣を発足させると予算委も党首討論も開かず、わずか1週間余で国会を閉じた。野党からは当然、国会軽視だとの批判が上がったが、7月の参院選で負けて「ねじれ国会」が出現するまでは馬耳東風だった。

 この政治手法は党内でもいかんなく発揮されている。小沢一郎元代表の権勢が絶大だった昨年までの小沢邸新年会では自ら乾杯の音頭をとり、強制起訴が決まっていた今年は対抗して公邸で同日に新年会を開く露骨さだ。
 「その場その場でいろんな発言をしているので、すべてに整合性があるとまでは言わない」

 首相は1日の衆院予算委では、自身の過去と現在の発言の矛盾を突かれてこう認めた。いま問われているのは民主党の政策やマニフェスト政権公約)の破綻よりむしろ、首相の政治家としての整合性そのものではないか。(阿比留瑠比)



あれ程強気で鳴らしてきたカン総理が低姿勢を見せている、果たして本物か?
そしてその根本にある問題は、民主党よりもカン総理の政治家としての整合性だとしています。
即ち、カン総理は政治家としての資質があるかどうか、と言う点。

カン総理は政治家か?
それとも野党時代の見せていた市民活動家の果てか?
この部分を問うています。

総理就任以来、強気で来たカン総理は参議院選挙で大敗するまで「独裁制を容認する」と言い放っています。この論で行くと、カン総理の頭には「熟議の国会」などは始めから存在しなかったのです。

それなのに、今「熟議の国会」とか言いながら、「社会保障と税の一体改革をめぐる協議に参加しない野党は歴史に反逆する行為だ」だとしています。
それが、本日国会で「民主党が野党時代に自民党福田総理が提案した国民会議への参加を頭から拒否した事実」を指摘されると、直ぐに、カン総理は「野党時代は政局ですべてを考えがちだった」と反省の様なことを口にしました

このように、カン総理は相手の言うことで態度をコロコロ変える、そのような人間だとみてなんら不思議は無いようです。
これでは君子豹変ならぬ、小人革面です

上っ面だけ変わっただけです